毎食ブロッコリーでも多分生きていける人の雑記帖

アイドルを広く浅くマイペースに愛する人の雑記帳

滝沢歌舞伎 ZERO2022でアイドルとは何かを改めて考えさせられた話

 

 

 

※めちゃくちゃ長いし、くだらない自分語りとポエムと今年の滝沢歌舞伎のネタバレをぐっちゃぐちゃに混ぜた駄文です※

 

 

 

 

 

2019年にSnow Manに座長が変わってから今年で4度目の滝沢歌舞伎ZERO。


私は音楽の日でひらりと桜のパフォーマンスでSnow Manを追いかけ始めた結構よくいるパターンの新規だ。
初めて滝沢歌舞伎ZEROというものを観たのはDVDで、だった。
その時の衝撃は忘れられない。全く理解できなかった。歌舞伎要素が全くないじゃないか。パフォーマンスの寄せ集めで繋がりが見えない。そもそも顔で売るアイドルが濃い化粧で顔が見えない歌舞伎をやる意味とは何なんだろう…

多くの疑問が多く残った。でも何故か感動した。その時にはSnow Manに夢中になっていたからというのもあるが、1番は物凄い熱量と、衝撃的なエネルギーを感じたからだ。
増員直後、初主演の重圧に耐えた2019年からコロナ禍に公開された2020年の映画、デビュー後の貫禄を魅せられた2021年の舞台と多少の変更があったものの、多くは例年通りの演目を受け継ぎどんどん完成度が高まっていくことを感じた。

 

2022年、そんな滝沢歌舞伎ZEROが大きく変わった。第二幕はほとんど変わらなかったが、(※ここは偶にはストーリーを大きく変えて欲しい気持ちが個人的にはある)第一幕の演目の多くが変更されたのだ。感想をみるといいと感じた人も前の方がの良かったと感じた人も半々な印象的だった。
中でも物議を醸していたのは花鳥風月。以前まではSnow Manの武器である踊りで魅せていた演目だった。周りのオタクは滝沢歌舞伎ZEROで花鳥風月が1番好きだという人が多かったし、私もその1人だ。それが歌舞伎の大技である連獅子への挑戦に変更された。


私が観劇したのは4月上旬だったから、決して完成度が高いとは言えない状態だった。まだフォームが定まってなさそうな人、首を痛めてるのか回すのも辛そうな人、早く回しすぎてズレてる人もいた。例年通り踊りで表現した方が当然完成度が高いだろうし、負担も少なかったのではないか。最初の数秒はそう感じていた。でも終わった頃にはアイドルが歌舞伎をやる意味とは何か、そもそもアイドルって何かを考えさせられた。

 

 どんな難技も完璧に仕上げやり遂げてみせるメンバーも、不器用なりに必死に食らいついているメンバーもどれも素晴らしいと思った。本来なら何十年も技を磨き続けてやるはずの、歌舞伎という伝統あるものに挑戦するという盛大な無茶ぶりに必死に応えていく姿こそが滝沢歌舞伎のエンターテインメント。得意のテリトリーで勝負して完璧な姿をみせることだけがアイドルではないのだ。
アイドルとは自分を出した上で好きになってもらうもの、生き様をみせることこそがアイドルなのではないだろうか?

 

 

 身体面での負担に関する賛否両論があったので断っておくと、私も勿論、無理はして欲しくない。この先何十年もアイドルでいてほしいし、そのためにも資本の身体は大切にして欲しい。特に自担は身長が人よりずっと高く、その分の身体的負担は計り知れない。だから来年もやって欲しいかと聞かれたら、私は頷くことはできない。身体的負担への心配に目を瞑れば今年の花鳥風月もとても素晴らしいと思ったのだ。

 

 

 話を戻すと、Snow Manより容姿が優れたアイドルは沢山いるし、歌やダンスだって世界中を探せばもっと上手い人がいると思う。その中で私がSnow Manを追いかける意味とはなんだろう?その答えがグループの生き様に魅了されたから、なのだと改めて感じた。歌舞伎という日本の伝統芸能の重荷を背負って9人が、ジャニーズのプライドをかけて必死に立って魅せているその姿が美しく心打たれるのだと思う。これは新しいことに挑戦した年だからこそ感じたことだと思う。アイドルの素晴らしさを改めて認識させられる公演だった。

 

 

アイドルの真髄を魅せてくれた2022年。

ごちゃごちゃ書いて長くなったけど滝沢歌舞伎ZERO2022 全53公演完走お疲れ様でした。

 

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